大事なのは「例える」こと
「語彙力」ってここ最近のキーワードですよね。
何でこんなに言われるかってここ最近の皆が語彙力ないことが意識されてるからでしょう。
語彙力を鍛える奇策はとにかく「比喩」を使う事です。
意外と思うかもしれませんが、語彙力は決して難しい言葉を知っていることではありません。適切な言葉、自分の気持ちと相手にわかりやすい言葉が繋がることです。
だから難しい言葉を知っていることではありません。
その一番の方法は「~みたいな」というように例える技術。
これが比喩です。
これって一番初めにどこで習うかというと小学生の「詩」の授業でしょう。
知の一番のキモは比喩です。
そして文学の根本は詩です。
古今東西どこの言語でも初めは詩から始まりました。
だから言葉の本質は例えられるかどうかなんです。
繰り返しますが、難しい言葉を覚える必要はありません。
言葉の根本は比喩なので、自身の経験上で例えられることがあれば例えればいいんです。
あくまで本筋は読書
あくまで奇策。
本筋は本を読むことです。
難しい言葉が載ってる「語彙力を鍛える~」系の本を読んでもいいですけど、そんな難しい言葉ばかり使うと嫌われます。聞き手側になるならいいですけど。
もっと言えば語彙力が無さすぎる人は嫌われます。
私は三年くらい前に乃木坂46のライブに続けていったことがありますけど、そこでのオタクたちの会話がなんとも貧相なことに鳥肌が立ったんです。
別にアイドルファンの批判ではありません。
私自身は続けて行ったくらい楽しめましたから。
ただ、例の彼らは普通にネットスラングを口頭で使ったり、どこかで見聞きした一連のフレーズを長々と使うばかりで自分の言葉遣いができてないんですよ。
安っぽいロボットが話をしてるのと変わらないので何も面白みのない会話が展開されていたんです。話というより再生機みたいな感じですね。
小中学生でもそうですが、それは百歩譲っていいとして、30前後の男どもも使ってるんです。
まあ、アイドルライブですからそういう客層だと言ってしまえば、それまでですが割とショッキングな現場でした。
彼らがどうしてそういう言葉しか話せないかというと行動が一辺倒だからでしょう。
同じような言葉の現場を繰り返すだけでは新しい言葉は手に入りません。
新しい言葉を手に入れる一番安上がりな方法は本を読むことです。
しかも分かりやすい本ではなく、詩や純文学のような言葉にしっかり向き合えるものが一番。
「語彙力を鍛える」系の本は鍛えた気にはなりますが、本当に鍛えたかという所では効果は薄いと思います。なんせ実際には使わないし、すぐに忘れるし。話の流れに沿っている感じはないからですね。
言葉の本来の姿は辞書的に断片的なものでは無く連続したものなので、ストーリーに沿ったり、人の心が揺れるような言葉が使われたときに「驚き」とともに感じるものです。それよりも鍛えた気になりにくいですがそういう文学の本を読むのが一番だと思います。
過去の自分の経験が比喩に繋がる
本来、言葉は古いものです。つまり自分のものでは無く他者のもの。
多くの他者に出会う事が語彙力に繋がります。
そして究極は過去の自分もまた他者だということ。
過去の自分に出会いなおすことで「あの時のあの感覚」を思い出し、比喩を使うことが出来るようになります。
親の言葉を子供が使うのが本来的な流れです。
その繰り返しですから古くて当たり前。
過去の人間の言葉を使うしかないわけですが、あまりに最近の言葉しか使わないのは人間としてあまりに魅力がないですよ。
面白みのない人間を木石(ぼくせき)と言います。
言葉を知らないというだけで木片や石ころのような無機物と同じような印象を感じさせるのは仕方のないことです。
言葉が古いものと言ってしまえば「自分の言葉」というのは厳密に言えばないわけです。
が、それに細かな切り分けを使うことでオリジナリティを出すことができます。
現状、あらゆる商品は過去のアイデアの作り替えですが、組み合わせを細かくすることで元ネタが不明になることと同じ事です。
たとえば作家研究でも
「元ネタ探し」
がよく行われる技です。
が、日本文学で一番ネタに上がる漱石はネタにされるだけあって、元ネタが不明なものが多いんです。
もちろん説は沢山ありますが結局、多くはわからずじまいです。
漱石は漢文から英文まで広大な分野をプロ級のレベルまで習得してそれを現代語として再構成しています。
なので、現代にも通じる造語をたくさん作ったくらい語彙力が立派なものでした。
現在「語彙力」とキーワード検索されているという事は自身の語彙力に危機感を感じているという事でしょう。
若者言葉は批判されることが多いですよね。
ですが、現状の言葉を使わずに新語を作るのは必ずしも、いわゆる
「頭が悪い」
の一言で終わらせるのは勿体ないじゃないですか。
語彙力は
- 「単語量」
- 「難しい言葉を知っている」
ではありません。
言語の総合的な考え方、運用能力だとおもいます。
そこで、なんで人はそのような言葉を使うのか、という、
「言葉の現場」
を感じるには若者言葉は絶好の観察対象です。
そこで私なりに気になった最近の若者言葉をまとめてみました。
こういうことを知ることによって本物の語彙力が手に入ると思います。
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「やばい」
「彌危ない(いやあぶない)」
「あやぶい」
からきてると言われます。
「彌」(弥)とは物事が重なるという意味です。
「危ない」というのはそのままです。
「危険」は抽象的な言葉ですからいい意味のも悪い意味にも使われやすいんですね。
このように抽象的な言葉が相反する言葉両方に使われることがよくあります。こういう事は日本語だけではなく外国語でもよくあることです。
「しんどい」
「しんどい」の語源は不明で、主に関西、近畿地方の方言として使われることが多いです。語源は「心労」からきてる説があります。
昔からある言葉ですけど便利で、関東ではあまり馴染みのない言葉なので最近よく使われている言葉です。
そういえば仕事をしていて疲れを感じるのって案外「心の疲れ」ですよね。身体的な疲れというのは案外それほど感じないものです。
身体的な疲れから体が動かなくなって思い通りにならない辛さから心がつらくなる。これが労働の疲れな感じがしませんか。
なぜかと言ったら楽しい遊びの時の疲れは「しんどい」感じがしません。かえって心地よい「疲れ」があるだけな感じがします。
「尊い」
「とうとい」というのは距離感を感じるという事です。
ちなみに「お父さん」の「とう」も語源は「とうとい」と一緒と言われています。
別に男尊ということで怒る必要はありません。
古今東西、一般的な話、「一家の長としての父」は、厳しい社会への入り口であります。
お母さんと比べて子供にとって距離感のある存在です。
お母さんは子供を守る存在であり、いつだって味方です。
一方お父さんはお母さんより距離感を持ち、威厳を持つ存在として機能するんです。
このようにオタク言語としての尊いは距離感を感じる、崇高な感じがするというイメージがあるんです。
「うれしみ」
「ーみ」というのは最近の若者言葉でよく使われている用語です。
でも言葉のニュアンスって何となくわかりませんか。
何でかと言ったら日本語の従来のルールに基づいた表現だからです。
「やばみ」
「うれしみ」
のように「~み」というのは
「甘み」
「深み」
「軽み」
「痒み」
の様に「感覚を名詞化」する辞書にも載ってる表現です。
じゃあこれをもっとちゃんと表現するには
「どのように嬉しいのか」
「どうして嬉しいのか」
というように比喩を使うことによって解消されます。
「むり」
拒否反応として単独で「むり」が使われますが、若者用語としては「無理」でよりも「むり」のほうが雰囲気が出てると思います。
本来「無理」は「道理」「理」(すじみち)が無いという意味です。
行動として現れるのは「引く」という感覚ですね。これはお笑い、舞台用語で使われえたものが一般化したものです。
その拒否の感情をどのように表すかが語彙力の見せ所でしょう。
終わりに
語彙力の見せ所をどうやって出すかと言ったら「比喩能力」。
比喩は「詩」の基本技術です。
意外に思われるかもしれませんが文学の基本は「うた」「詩」。
それはどのように作られるかといえば「比喩」なんですね。
自分の体験は一回性のものなので他人に伝えようにも普通は伝わりません。
ですから比喩に託して伝えるんです。つまり言葉の基本は比喩と言っていいんです。
何かに例えることは自分の体験を基にするんですね。そうすることによって一回性の、その場にしかない言葉、表現を作れるんです。
ですから一般的に本を読むことが語彙力を高めるというんですね。
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